Company History

株式会社黎デザイン総合計画研究所の沿革

▼同社は1973 年に赤瀬達三がパブリックデザインの進展を目指して設立したデザイン事務所です。赤瀬が営団地下鉄(現・東京メトロ)の新しい案内サインシステムを考案した経緯から、1973 年から2003 年までの31 年間、その案内サインマニュアルの作成と、およそ130 駅のサイン実施設計・デザイン監修を担当しました。

▼営団地下鉄サイン計画を始めてのち日本全国の鉄道会社から依頼を受けて、仙台市地下鉄、横浜市地下鉄、ゆりかもめ、みなとみらい線、福岡市地下鉄、つくばエクスプレス、JR 北海道、相鉄線、小田急線、京成線、静岡鉄道等、さまざまな鉄道路線のブランディングや案内サインシステムの計画設計に携わりました。

▼1986 年に竣工した地域開発アークヒルズでは、森ビルからブランディング開発とサイン計画を依頼されました。そののち近年まで御殿山ヒルズほか森ビルのさまざまなプロジェクトに携わり、六本木ヒルズや表参道ヒルズ、上海環球金融中心など、世界的に著名な施設のサイン計画も手掛けてきました。

▼都市施設のサイン計画実績は、百貨店、地下街、国際展示場、競技場、大学キャンパス等に広がり、近年では中国青島市の民間デベロッパーが開発する商業街区・住宅街区、中国を代表する企業・中信集団による北京市セントラルビジネス地区超高層ビルのサイン・コンセプチュアルデザインの仕事にまで及びました。

▼1995 年から近年まで、より公共性の高い仕事も手掛けました。その一つは横浜ターミナル駅と新宿ターミナル駅のコモンサイン整備の計画設計、もう一つは首都高速道路、NEXCO 高速道路の案内標識のデザイン検討です。コモンサインとは、そこに集まる事業者ごとの壁を超えて、共通様式に整えたサインシステムのことです。

▼2001 年から近年まで、まち歩き支援のためのサイン計画を、横浜市、名古屋市、茅ヶ崎市、四日市市、安曇野市で担当しました。どの街でも、景観的な特徴やその地域で親しまれているリソースを丹念に調べて、マップデザインを中心に、人々が“歩きたい、出掛けたい”と思ってもらえるようなサイン計画に取り組んでいます。

▼2017年から近年まで、横浜市都心部を走るみなとみらい線のサインシステム更新計画・デザイン監修を手掛けています。2004年の開通時に駅ごとに異なる建築家たちの造形主張と鉄道システムとしての一貫性とのバランスに腐心したサインシステムを、時代の変化に整合させるため、デジタルな案内表示ディスプレイも含めて見直しています。

▼2022年秋に株式会社黎デザイン総合計画研究所は50年の歴史を閉じ、以降その間のフォローアップ業務は黎デザインアソシエイツに引き継がれています。